先日、或る記事を読みまして。
曰く
「最近の若者は表現の多様性が無い。」
「感動は何でもスゲー&ヤベー」
「ちょっとした卓越をすぐに『神認定』する」
「神7だの神曲だの、神の価値も下がったものだ」
と。
まあねぇ。
言わんとせんことは判ります。
一昔前に『カリスマ〜』が流行った時などは、Zoikhemも似た様な感想を持たしましたし。
でもねぇ。
言わんとせんことの尻馬に易々と乗るのも憚られまして。
結局は『若者叩き』の一形態な訳で、そんな一億年前から存在する悪癖に加担するのも一寸恥ずかしいかなぁ、と。
三十路って年代は微妙ですね。
大人に組するのも不慣れで、子供の振りをするには肩腰が痛すぎる、という(笑)。
ところで、上記の『神』やら『カリスマ』やらが最近は安過ぎる、という主張。
最近の語彙には厚みが無さ過ぎるという主張。
ちっとも、そんな事は無いですよねぇ?
少なくとも『最近』という側面は。
そういう『大層な言葉』を『安く大量消費』するという風潮は、例えば500年にだってありました。
鬼義重
鬼武蔵
鬼美濃
赤鬼
青鬼
鬼十河
鬼弾正
鬼左近
鬼小島弥太郎
などなど鬼鬼鬼。
そして、鬼石曼子(汗)。
最後は少々意味づけが違いますが、ほんとうにもう鬼だらけです。
ちなみに戦国時代の武将さんたちです。
『鬼』も安くなったものだって、当時もしたり顔で嘆いたんですかね(笑)?
昨日、いっぱい先行画像を貼ったので今日の画像は一日飛ばさせて下さいませ(汗)。
昨日の駄文の中から遊びにって下さいな。
仕舞
Zoikhem