一月に渡って、多くの人間の生活リズムに軋轢を加えてきたサッカーワールドカップが終了しました。
思いもよらない『水月への頭突き』で(汗)。
彼は大木金太郎の後継者として、国際プロレスリングに参戦とか。
第二の人生は意外なものになりましたね(嘘)。
Zoikhemは、殆どあらゆるスポーツを『見て楽しむ』人間です。
自らの肉体をデバイスに快感と熱狂を引き出す行為は、せいぜいが性交くらいです(笑)。
まぁ、これも其の多くを脳髄内の妄想に因っている訳ですけども(汗)。
本当は、滑る競技は得意です、例外的に。
泳ぎも人並みに。
小学生の頃、バタフライの存在意義に疑問を持ってスイミングスクールを止めてからは、たまに楽しむ程度ですけども。
バタフライ=クロールより遅く、平泳ぎよりも疲れる(Zoikhem認識では)。
何か泳法としての利点が有るのでしょうか(汗)?
話がずれました(汗)。
アスリートでは無い、専らスポーツは見て楽しむZoikhemが今回のW杯で強く思った事は、
『アスリートの肉体は美しい、輝きは眩しい、其れは其れが儚く宿命的に悲しいからだ』
と言う事です。
話は最初に戻りますが、今大会を限りに多くの選手が其の舞台をおりるようです。
完全にサッカー選手を終えてしまうジダンはじめ、多くの時代の寵児たちが第一線を降りて行きました。
ジダンは34歳です。
中田の引退は少し意味が違うと思いますが、彼は29歳。
34歳でベテラン呼ばわりですが、現代日本では34歳なんて、まだまだ若僧ですよね?
漸く自分の仕事に自信を持てるようになる、そんな年頃ではないでしょうか?
甚だしきは政治家などで、40代でも若手のプリンス呼ばわりの、青二才扱いですし(笑)。
そんな年頃にアスリート達は、己の半生の総括を迫られる。
輝ける期間の何と短く、貴重なことでしょう。
花の色の旬の短さもかくや、の切なさを感じるZoikhemなのです。
Zoikhemなんて今年大台に乗りますけども、未だ半生を見つめ直すどころか、尻に貼りついた卵の殻さえも剥がれ残っていますから(汗)。
一部の超級のアスリート達には、指導者だったりな何だったりと名誉とやり甲斐に溢れた『道』は用意されているのでしょう。
しかし、超級のアスリートたる肉体を持った人間は其れに相応しい精神を有している場合が多いでしょうし、そうでなくとも半生を賭けた事実を前にして、新たな『道』を全くの怯みも感慨も無く登れる人間は少ないのでは無いでしょうか?
つまり、34歳で現役を終えた人間にとっては、その後の人生にどれ程光が満ちていても、それは『余生』なのでは無いか、と。
Zoikhemはそう思うのです。
ゆえに(逆説的ですが)、彼らの肉体には神が宿り、彼らの躍動は世界中の人間の時を止めるのだ、と。
僅かの期間に美を宿すがゆえに、長き余生を背負う事を約束されるのだ、と。
Zoikhemはそう思うのです。
『美しいものは悲しい』。
『悲しみは美を孕む』。
其れは宿命的な事実です。
いずれがいずれの構成を必須とするのかは別の話ですが、『美』と『悲』は同源である事に疑いは少ない様に思えます。
34歳で余生に入るフランスの英雄は、其の短い躍動の時代に美を無数に生み出しました。
其の終わりは、喜劇的なまでの悲劇で演じ終えましたが、彼の余生にせめて魂の安らぎが伴います事をZoikhemは願います。
そしてその他の無数の有名無名のアスリート達の余生が、せめて費やした激動を癒す安らぎを伴います事をZoikhemは願います。
そして、アスリートならざる、余生の短いであろう、現役期間の長いであろう人生を今現在選択しているZoikhemは、彼らの輝きを、少し、そう少しだけ、羨ましく思うのです。
一瞬の燃焼に、何処か憧憬を感じるのです。
実に身勝手な物言いですけどもね(笑)。
さて。
GALLERYを裏表共に更新しました。
内容は基本的に違います。
表の内容はいずれ完全版で裏に公開させて頂きます(笑)。
仕舞
Zoikhem