2006/Feb/28 Tue | Zoikhemの必修
カンビュセスの籤
先日『22XX』を話題に取り上げたら、予想を超える反響を頂きました。
直接の書き込み以外にも、メールでも様々な方から興味深いご意見を頂きました。
MAX様に於かれましては入手して頂きましたしね(汗)。
有難い事です。
不遜な言い方が許されるならば「発信は受信されて初めて発信足りうる」とも思いますし。
エロスを公開するという、構造矛盾(まぁ、この矛盾に親和性を御持ちの方は少ないでしょうけども)を抱え自覚しつつも、発信を止められないZoikhemです。
其れはさて置き。
今日のタイトルは、22XXよりもピンと来られる方は多い事と思います。
『カンビュセスの籤』
史実に(や其れに基づく挿話)でご存知の方もいらっしゃると想像します。
が、其れを倍する知名度をZoikhemは想定しております。
カンビュセスの籤は藤子・F・不二雄の作品名でもあるのです。
22XXからの文脈で紹介する、と言う事はつまりそういう事です(笑)。
全く同じ方向を向いている作品ではありませんが、現在に於いてもなお非常にショッキングな題材を取り上げている為、時に同列の作品とされることも在るみたいですしね。
人肉食。
書くと矢張り凄みがありますね。
藤子・F・不二雄では、『ミノタウロスの皿』が圧倒的な知名度があると思います、人肉食をテーマにしている作品としては。
ただ、ミノタウロスの皿が、微妙に間接的で、そして相互の不理解でもって最終的に着地しているのに比べ、カンビュセスの籤は更に直接的で着地点も、遥かに高踏であると思うのです(良かれ悪しかれ)。
ミノタウロスの皿では、主人公の鈍重な事にいらいらしますが、カンビュセスの籤では、主人公の透明性にはらりと落涙してしまうZoikhemなのであります(汗)。
22XXのテーマにも近い、『生殖による生命の連続性ではないもう一つの可能性』には、宿命的に惹かれるところがあるみたいですねぇ。
例によって、未読の方に読んで頂きたいという想いを込めて、余り深くは踏み込みません(汗)。
遺憾です(笑)。
それにしても藤子・F・不二雄の短編集を読むと、其の暗黒に心を震わせられるなぁ。
特に、彼が何度も何度も繰り返し採用する、「生殖の義務を終了した後の男性性の無為性」には、多少の筆を割きたいので明日以降機会があれば書いてみたいと思います。
人口爆発や食糧危機と絡めつつも、居場所を失うのは必ず壮年層以上の男性ですからねぇ、彼の短編では。
実に興味深いです。
ぱっと見、人肉食への一段階
仕舞
Zoikhem