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報道の真空地帯

奇妙な報道になっていますね、秋田の例の事件。

週刊誌やネット上では既に散々書かれて、現実の司法が、まるで其の記事を追う様に、任意の事情聴取。
任意って、もう丸1日近くですよ。
秋田県警のやり口も、結構ヒヤヒヤしますね(汗)。
結果が如何転ぶかはさて置き。

現時点では、報道が任意で聴取を受けている人間を「近所に住む無職の三十代女性」としか記さず、今回の事件に付随する決定的な情報を流していないのは、理由は判るとしてもかなり奇妙に写ります。
このご時世では、逆効果じゃないかなぁ。

誰でも発信できる時代ですからねぇ。
『憶測の手』は、10年前よりも遥かに長いというのに。

だからこその、奇妙な情報封鎖である、という事も理解出来なくは無いのですけども。


…今日はギアの調子がおかしく、ダウナーを抜け出せ無いZoikhemであるため、こんな独り言で〆です(汗)。
画像処理だけは暇を見て頑張っては居るのですけども(笑)。


お尻
露出としては、非常に微妙です(笑)。
でも、この控えめさがZoikhemは好きです。

…全裸でバーン!も好きなんですけども(汗)。

仕舞
Zoikhem

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Comments

ウェンリー | 2006/Jun/4 22:50

秋田の事件、
>週刊誌やネット上では既に散々書かれて、現実の司法が、
>まるで其の記事を追う様に、任意の事情聴取。
兵庫県の学校の校門に切断された小学生の首が置かれていた
事件を、覚えておられますか。
 あの時の取材合戦では、新情報・新情報とマスコミが放送し
それを総合すると犯人は30歳代の男性・ガンメタの日産プリメーラに乗っている。との犯人像が出来上がりましたが、捕まった犯人は14歳の中学生。

 今度の一件では被疑者の女性の家や軽自動車を調べています
が、被疑者の女性の子供と殺害された子供は一緒に遊んでいた。そこから被害者の靴跡や毛髪が出てきたとしても証拠といえるのだろうか?
昔・兵庫県の精神薄弱者の施設で浄化槽に子供2人が落ちて死に。
保母が「子供を浄化槽に落とした」と逮捕されたが、否認で証拠不十分で釈放。弁護士会に「事故を殺人事件の犯人にでっち上げられた」と人権救済を求め、検察庁が起訴して裁判へ。
証人が「施設の精神薄弱者」で最高裁まで縺れて差し戻しにな
って・・・・・
 見たいにならないか。
真実は一つでも、予断と偏見で見えるものが見えなくなってし
まいますからね。

choyeさんのお尻、思わずツンツンと、したい張りの有るお尻
ですね。

vignoble | 2006/Jun/5 03:09

>報道の真空地帯
報道機関が事件や事故を報道する際に果たしてニュートラルな取扱をすることはできるのでしょうか・・・関係者や周辺住民などから取材を通して得た情報や、専門家や評論家などの発言などにより色づけされた伝聞情報を受け取る視聴者や読者は
報道された事実の中から何を基にして真実であるのかを峻別すればよいのでしょうか・・・。
ウェンリー様のコメント、「真実は一つでも、予断と偏見で見えるものが見えなくなってしまいます」は、報道を受け取る立場の者にとっても重要なことを含んだ言葉です。

さて、本日の画像は「春のうららの隅田川……」でしょうか。遊覧船の客室のようにも見えますが、食堂のようにも見えます(笑)。

今夜の深夜臨時便は、また映画ネタです(笑)。
テレビ朝日系で放送されている「素敵な宇宙船地球号」の最後に流れる
「エコを感じるココロを“エココロ”といいます。」というコメントが
仕事で疲れきって帰宅した私の聴覚器官を刺激したのです。

聴覚器官から伝達された信号が言語中枢に到達するころには、
本源的な生殖本能を更に覚醒させる言葉「エロを感じるココロを“エロココロ”と
いいます。」に変換されていました(笑)。

いつもはスタンド・アローンとして私と行動を共にしている携帯型PCが
コンプレックスを感じないように高速回線に接続してあげて、検索開始・・・。
芸術性が高く、しかも妖艶なエロスを醸し出す映画はあるかしらと検索したら、
思わぬ拾いものをしました(笑)。

今週末から銀座にある映画館で公開される「ティント・ブラスの白日夢」
http://www.albatros-film.com/movie/monamour.html と
「マルキ・ド・サドの調教哲学」
http://www.albatros-film.com/movie/sentimental.html

銀座での食事や買い物の序でに立ち寄ってみようかと思ったのですが、
女ひとりでは入場券を買うのも・・・でも、この誘惑には勝てそうもないです(笑)。

同じ映画館で上映されている島田洋七の自伝小説を映画化した
『 佐賀のがばいばあちゃん 』も観てみたい1本です。

Zoikhem | 2006/Jun/5 23:55

>ウェンリー様
例に上げておられる事件、も報道史&犯罪史(嫌な言葉ですが)、における重要事件ですねぇ。
ただ、当時と今では無責任な流言蜚語の加速力&伝播力に大きな違いがあります。
悪い意味で。

便利さは、ベクトルの逆方向に恐ろしさ、を内包しているのが常の様ではあります。

Zoikhem | 2006/Jun/5 23:58

>vignoble様
存在という事実に光を当てて出来る影は全て真実と言い得ます。
どれ程事物の形が歪んでいようと、其々誤りでは無いのです。
恐ろしい事に、それらの影は矛盾しつつ整合しますから。

あとは、どれだけ多くの視点を有して、それらの影を統合できるプロセッサを有するか、と言う事なのかもしれませんが、神ならぬ無能非才の身には難しい事では御座います。

精々、謙虚さと不確定を我慢できる精神的なタフさだけは保持したいモノですけども。

Toris | 2006/Jun/6 00:28

>精々、謙虚さと不確定を我慢できる精神的なタフさだけは保持したいモノですけども。

事象の持つ多角的性格を一存在から推察するのはなかなかに
難事業で御座います。(汗)

とある方の言葉だったと記憶しておりますが、
「自分の見たものは其の半分だけ信じろ。
   人から聞いたものは、是総てを信ずるな。」
実践を心掛けているTorisであります。(汗)

見えているものが、其の総てでは在りませんものね。

vignoble | 2006/Jun/6 00:31

>存在という事実に光を当てて出来る影は全て真実と言い得ます・・・。

真実と事実の認識に関しては、今回は残念ながらZoikhem様とは意見の相違があります。
ある事故の報告書の内容に対する事実認識とそこから導かれる真実とされることの虚構に納得がいかない人が未だにいるのです・・・私もそのひとりです。

とはいえ、この問題についてここで議論するのはやめておきます。

Zoikhem | 2006/Jun/6 00:38

>Toris様
見えないものを見えないままで我慢する事も中々に難しいですよねぇ…。
「見えているものが、其の総てではない」のとある意味、同じ事ですけども。

Zoikhem | 2006/Jun/6 00:39

>vignoble様
おそらく、単なる言語の定義が異なるだけかと(笑)。
まぁ、其の摺り合わせも無意味なので、Zoikhemも止めておきます。

Zoikhem | 2006/Jun/6 00:47

>vignoble様
最初に書きこみ頂いた、
「ニュートラルの不存在」は、全く同意見です、
儀式的、数式的な架空の概念に過ぎ無いと考えるZoikhemであります(それはそれで重要ですけども、思索の途上で)。

個である人が媒介する情報は、すでに物語的な編集が加えられた第一視点ですからねぇ。
Zoikhemが、刑法などの構成要件や可罰性で、動機を軽んじる所以です(謎)。

聞く事、語る事、共に極めて恣意的な編集作業ですもの。
時に、恐ろしいほどに効果的な。

Toris | 2006/Jun/6 00:49

>vignoble様
Torisも『ある事故の報告書』に納得できない一人で御座います。
いまだに。

というわけでTorisも止めておきます。

Zoikhem | 2006/Jun/8 15:11

>Toris様
うん、同じ想いを抱えている方も多いでしょうねぇ…。
忘却の果てに置いた人も、もっと多いでしょうけども…。
それでこそ、正常な人の生業かと。

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